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第4回 前編 Kanoco / ファッションモデル

大のしろくま好きで、黒髪ぱっつんのヘアスタイルと眩しい笑顔が印象的。
シンプルで気の利いたファッションと暮らしにも定評がある、モデルのKanocoさん。
幼い頃に憧れた意外な夢から、モデルを志した経緯とは?

モデルになるには
原宿でスカウトだ。それしかない!
と思って、1日勝負で東京へ
直感を信じてよかったなと思います

空気は澄んで、空は青く、星がきれいな冬。
それは、子どものように無邪気な笑顔と、凛とした透明感を合わせ持つKanocoさんに似ている。祖父母、両親、姉、兄の7人家族。幼少期は、日本海と山や畑に囲まれた自然の中でのびのびと育った。

「父は小学校の先生、母は家で英語の塾を営んでいました。幼い頃から、宿題は早めに済ませるタイプ。帰宅した父がリビングで丸つけしているのを横で見たり、母は塾があったので、その前に夕飯を作ってくれるのを見ながら、たまにお手伝いをしたり。そういう時間がとても貴重で楽しかったです。両親共に、子育てしながらずっと働いていて、今思えば、相当忙しかったと思います」

厳しくも心温かい両親。Kanocoさんが強い意志を持って決めたことは、いつも応援してくれていたそう。子どもの頃から大好きだったのは、お母さんが作る甘くない卵焼き。

「中学生の頃、初めてニュージーランドへ2週間ほどホームステイに行ったんです。帰国した日、母が作ってくれた卵焼きを食べたら、もう泣きそうになって。久々に食べたら、すごく母を感じたんです。その日から、母の卵焼きが、私の中で特別になりました。なんか美味しいんです」

出汁は入れず、シンプルに塩と砂糖のみ。ちょっと焦げ目がついていて、食べると気持ちがふわっと温かくなる。お母さんの卵焼きは、子どもの頃のささやかな記憶やしあわせの瞬間を呼び覚ましてくれるのかもしれない。「小学生の頃の夢はマジシャンでした」と意外な一面も。

「父が生徒に喜んでもらおうと、小学校で披露していたマジックの道具が家にあって。私がクラスで出し物をすることになり、でっかいウサギのスポンジから、小さいウサギがいっぱい出てくるのとか、父に教えてもらって私も必死でやったら、みんなが驚いてくれたんです。それから、マジックショーを見に行くようになり、マジシャンになりたい!と思っていました」

その後、中学時代は卓球、高校時代はテニスに明け暮れるほど体育会系だったが、たまたま読んだ本がきっかけで、ブライダルプランナーに夢を抱くようになる。

「ホテルを舞台にした本で、個性豊かなお客様たちの無理難題に応えていく物語に感動。ブライダルプランナーに憧れて、神戸の美容専門学校のブライダル科に入りました。そしたら、美容科の方から声をかけてもらい、校内のショーモデルをやることになって。人前に出るのは得意ではないのに、やってみようと思えたのは、私をそんな風に使いたいと言ってくれて、ありがたいなと思ったからなんです」

目の前の物事と真摯に向き合い、感謝する。その時の積み重なりが、彼女の真っすぐで清らかな精神を創り出してきたのだろう。

「初めてのショーは、純粋に楽しかったです。プランナーの勉強よりもモデルが楽しすぎて、学校を辞めようと思い、両親にすぐ手紙を書きました。そしたら、『自分がやりたいなら、やってみたらいいんじゃない?』と。両親に申し訳ない気持ちもあり、たくさん泣きました」

真っすぐだからこそ不器用。でも、「何かが違う」と感じたことを曖昧にせず、前に進む力に変えたことで、新たな夢の扉が開いた。

「学校を辞めた後、神戸で1〜2年ほどアルバイトをして生活費を稼いでいました。当時、私は巻き髪のギャルで、サロンモデルをすることも。それが楽しくて、友達と遊ぶことより優先していたので、こんなに夢中になれるモデルという職業に心底憧れました。それからモデルになるまで、将来のことを考えてものすごく悩みましたね」

もがいている道中で身につけたことは、自分を助ける力になる。苦悩や葛藤に研磨されながら、彼女の感性は光り輝いていった。

「モデルを目指した場合のメリットとデメリットを紙に書き出してみたんです。明らかにデメリットが多かったけれど、東京に行きたい気持ちの方が大きくて。一度心に決めたら、それ以外の選択ができないタイプなので、『モデルになるには原宿でスカウトだ。それしかない』と思って、お金もかかるし、1日勝負で原宿へ行きました」

髪型は黒髪のボブ。短めの白黒ボーダーカットソーに黒いスキニーを穿き、太めのヒールに真っ赤な四角いカバンを持って、原宿の交差点から表参道につながる通りを5〜6時間歩いた。おなかが空いても、緊張と大都会へ来た怖さで、カフェにも入れなかったそう。

「1日勝負で来ているから本気ですよね(笑)。その日に決まらなかったらもう無理だと思って、無我夢中でした。そしたら運よく、たくさん名刺をいただいて。よくわからなすぎてどうしよう…と思っていたら、ヘアモデルの声をかけてくれた美容師さんが、今の事務所のマネージャーと知り合いで、その場で写真を送ってくれて翌日面接することに。必死すぎて全然覚えていませんが、受け入れてもらえることになったんです」

自分にとって心が動く瞬間はどこか? 心の機微をしなやかに汲み取っていると、悩みやつらいことも和らいで、大きな決断のときにすっと動くことができるのかもしれない。20歳で上京し、モデルとしての人生が始まった。

「自分の直感を信じてよかったなと思います。上京して、所属事務所のみなさんに挨拶をする忘年会の席で、社長が『家族が増えました』と紹介してくれて。それがすごく嬉しかったのを、今でも覚えています。仕事がないときは、しょっちゅう事務所に行っていました」

極貧生活で、不安しかなく、ひたすらオーディションを受ける中、声のかかった仕事が人気雑誌『装苑』のモデルだった。

「上京の夢が『装苑』に載ることだったので、もう嬉しすぎて。でもそれも束の間、雑誌って1カ月で新しくなるから続けて出ないとダメだ、と。もう、暇があれば神社に行って『忙しくなりたいです!』ってずっとお願いしていました。その後、少しずつ声をかけていただくようになり、ありがたいことに、なんとか続けてこられています。自分の実力のなさに悩んだこともありますが、経験を積めば前進できるはず、やるっきゃない!と信じています」


Kanoco

兵庫県生まれ
ファッションモデル

ファッション・カルチャー誌など多数の雑誌を中心に、広告・MVなど幅広い分野で活躍する一方、2021年6月に男の子を出産。母となり、子育てしながら日々のごはんを紹介しているインスタグラムも人気。彼女のファッション、ビューティ、ヘア、お料理、大好きなしろくまの話など、大切なものやことを書き綴ったオール私服&私物のフォトエッセイ『かの・この・はなし』(双葉社)は、好評発売中。暮らしが愛おしくなるような一冊です。今回は、お気に入りの珈琲店『茶亭 羽當』にてお話を伺いました。

Photo:Shinnosuke  Yoshimori
Edit&Text : Narumi Kuroki (RCKT/Rocket Company*)
Location:Coffee Shop Chatei Hatou

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