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第5回 中村暁野 / 文筆家・小商店主

ひとつの家族を取材し、丸ごと一冊取り上げる『家族』を創刊以降、
執筆活動や、エシカルショップ『家族と一年商店』を営む中村暁野さん。
家族を通して見えてきた、自分と自分以外のだれかも大切に想うこと。

分かりあえなくても大丈夫
一緒に生きていきたいという想いと
だめな部分も認めあうことで
家族の関係がぐっとよくなりました

家族ってなんだろう。夫婦ってなんだろう。
いちばん身近だからこそ、モヤモヤすることは山ほどある。

そんな“家族”をテーマに、心の機微を綴った著書『家族カレンダー』や連載『ケンカの後は一杯のお茶』などが多くの共感を得ている暁野さん。

3歳までドイツで過ごし、オルタナティブでリベラルな中学校生活を経て、大学では「映画の脚本を書こう」と映像学科へ。そこで出逢った友人と作った曲が映画の主題歌に採用され、20歳でデビュー後、25歳で結婚、出産。順風満帆な日々を送っているようにみえた。

「産後3カ月でライブ復帰し、ブログの執筆やツアーも行っていましたが、本当は孤独で自信が持てず、コンプレックスの塊になっていました。初の子育てで自分の理解が追いつかないまま、産後、すぐには“父”としての意識が芽生えなかった夫との温度差もありました。娘が3歳になる頃、表と裏のギャップに耐えられなくなり、夫婦関係も心身も限界だなと。

それで夫に素直に打ち明けたら、この状況を修復しようと初めて向きあってくれて。いつか僕が独立したら『家族』という雑誌を一緒に作るのはどうかと提案してくれたんです。彼のその言葉に救われました。私もそれまで頑張ってみようと思えたから。その後、夫は独立し、空間デザインの事務所を立ち上げ、一緒に雑誌『家族』の制作を始めました」

辛かった想いをすべて話したことで、お互いにどう生きたいのかを知り、新たな方向へ道は拓いた。

「創刊号で取材した家族は、私たちの夫婦仲がしんどかったときの状況を打破する重要なきっかけになりました。その家族と夫は仲良しで、でも私と夫の間にはすごく距離があったので、その家族が羨ましかった。私は卑屈でぜんぶ抱えこんで、思うように自分の活動もできていない。夫は才能溢れるひとに囲まれて、楽しそうでいいなと」

でも、雑誌を作ろうと思ったとき、「自分がコンプレックスを抱く家族にこそ、取材させてもらいたい」と意を決した。

「家族というものの痛みを知っていたからこそ、その光と影を含めて、当時の自分のように苦しさを抱えているひとが読んでも、苦しくならないようなものにしたい、というのが最初からありました。いざ夫と一緒に作り始めると喧嘩ばかりで葛藤の日々。でも、きらきら眩しく見えていた家族にも、ふれてほしくない痛みはあって。雑誌作りのすべてを通して、夫と意見が食い違ったり、同じ方向を向けない自分の家族のことをやっと“分かりあえなくてもいいんだ”と気づくことができて、自分たちの家族の形でいいんだと思えました。

夫婦は分かりあうべきと思っていたけれど、私たちはこれでいいんだなと。分かりあえなくても、“一緒に生きよう!”という気持ちは私にも夫にもある。“一緒に生きていきたい”という想いの軸はぶれていない。根本的に腹が立つことはたくさんあるけれど、信頼できたり、いいなと思えるところもすごくある。たぶん、お互いそうだから許せたところもあるし、このひとと生きていくには、別に分かりあえなくてもいいんだなと(笑)。創刊号で取材させてもらった家族のおかげで、すごく救われました」

夫婦でお互いのちがいを認められたことで、弱い自分も認めることができた。自分にもこういうものが作れるんだと思えた、初めの一歩だった。慌ただしい日々でも、“一緒に生きていきたい”という想いが根っこにあれば、自分も相手もより尊い存在だと気づくことができるのかもしれない。

「夫にはなんでも話せるようになりました。お互いにだめな部分も認めることが大事だなと。 “夫婦は2人で1人”ではなく“1人と1人”。家庭内に2つのスタンダードがあるのは、子どもにとってもよいと思うんです。家庭内多様性というか、そこが完全に一致していたら、それ以外の考えや在り方に排他的になるかもしれない。お母さんはだめと言うけど、お父さんはいいよと買ってくれたり、子どもにとって逃げ場があるのは「考えがちがってもいいんだ」というのを知る機会にもなると思えるようになりました」

相模湖にほど近い藤野の里山に移住してから、早6年。今春から、環境や自分自身を整えるために、自宅ではプラントベースの食事を始めた。そこでも大切にしているのが家庭内の歩み寄り。

「いつか子どもたちが自分で考えて自分で選ぶようになったとき、自分以外のものやことを想い、考えられるひとになってほしい。子どもたちのいまの意見を私も受け止めてこそ、当たり前にその気持ちが生まれるのかなと思っています。家庭内で足並みを揃える必要はなくて、私がしたいことは私がすればいい。相手に求めず、自分ができることをすればいいと思うようになったら、本当にラクになりました」

最初は「どうぞ好きにして。僕は僕でやるから」と言っていたパートナーも、自然と歩み寄ってくれるようになったそう。

「私の方が『ちがっていいよね』と手放したら、数年経って、夫の方が歩み寄ってくれるようになったんです。夫の仕事に対して思っていた気持ちも手放したら、逆にやるべきことが明確になったみたいで仕事に精を出し始めたり。だから、結婚12年目で私の気持ちもふっとラクになったし、夫に新たな希望が湧きました(笑)」

相手に求めて強要しようとしていた頃は、絶対になかったものが、手放した途端、むしろ還ってくるものがあった。家庭内でうれしいわくわくが、里山の風にのって循環し始めている。

「コロナ以降、夫も仕事の在り方を試行錯誤していました。昨日まで一生懸命作っていたものを企画が終わったら捨てなければいけない。ゴミになるのが虚しいし、暮らしで大事にしたい環境と真逆のことをしている。子どもにも胸をはれるような嘘がないことをもっとしていきたい、とお互いに話す中で、長い目でみたときに、自分たちも含めてみんなの心が豊かになることをしたいねと。それで、エシカルなものを扱う店『家族と一年商店』をやる気になったんです」

エシカルな暮らしの始まりは、海洋プラスチック汚染で動物たちが死んでいる展示を見た娘さんが、その年の七夕の短冊に、「プラスチックをすてるひとがいなくなりますように」と書いていたのがきっかけだった。

「夫も私も、いま、やりたいことに向かっています。自分の気持ちに正直に、家族全員でそういう風に歩んでいきたいです」

家族をひとことで表すとなんでしょう?

「酸いも甘いもある存在。家族といるのは大変だけど、“ひとはみんなちがうんだ”ということを心から実感できるようになりましたし、それでもだれかと一緒に生きる喜びを知ることができました。もしふっと失ってしまったら、昨日まで私は世界一しあわせだったと絶対に思う。だから、毎晩みんなでぎゅうぎゅうに川の字になって寝るとき、『いま私はすごくしあわせなんだ』と家族といる温もりを味わっています。子どもたちが育った後も、同じように思っていたいですね」

そう話す彼女はまるで、純粋に夢と希望を抱く少女のようなひかりに満ち溢れていた。種を蒔くとたくましく芽生える花や樹木のように、家族から生まれるその豊かな広がりは、大切に育んでいきたい愛そのものだと思う。

中村暁野

ドイツ生まれ
文筆家・小商店主

夫、娘、息子と共に、2017年より東京からすこし離れた里山に暮らしながら、家族や暮らしをテーマに執筆活動を行う。2021年、5年間自身と家族のことを毎日綴った日記をもとに書籍『家族カレンダー』(アノニマ・スタジオ)を上梓。また、家族みんなで相談しながら、むりなく楽しく続けられるエシカルな暮らしを実践中。2021年には暮らしを変える・築くきっかけを生むための小さな店『家族と一年商店』をオープン。

Photo:Eri Morikawa
Edit&Text : Narumi Kuroki (RCKT/Rocket Company*)

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