History

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受け継がれる伝統とクリエイティヴィティ

ラプアン カンクリの経営者、エスコ・ヒェルトの曾祖父がテキスタイルの事業を始めたのは今から約100年前のこと。形や素材を変えつつ、テキスタイルの家業は4世代に渡り、受け継がれてきました。1973年にはエスコの父がタペストリー製造の会社を立ち上げ、ラプアン カンクリが誕生。時代を超えて引き継がれるもの、大切にされてきたものとはなにか。4世代に渡る物語を紐解きます。


ラプアン カンクリの誕生まで

エスコの父、ユハ・ヒェルトは15歳で叔父が経営するヴァリクトモ(Värikutomo)に就職します。現場で働きながらあらゆるノウハウを身につけ、のちに生産マネージャーに就任し、現場を任されることに。ヴァリクトモは時に200名もの従業員を抱える大きな織り工場でした。 ウールを紡ぐところから手がけ、既にジャガード織りを導入し、軍で使用するブランケットを主に製造していました。そこで長く働いたユハは、周りからのサポートもあり、独立に至ります。小さな織り工場は“Lapuan Kankurit(ラプアの織り手の意)”という名が付けられました。フィンランドの伝統であるタペストリーは、これまで手で織られていたので、ジャガード機を使って生産する会社は皆無だったのだとか。需要はあるが、生産者がいないことにユハは目をつけました。「これからの時代は、規模は小さくても、専門的な技術に専念することが大切であることを父は悟ったのだ」とエスコは考えます。そしてそれは今でも変わらず続く精神でもあります。

父から受け継ぐクラフツマンシップ

1990年代、父から息子へバトンが渡されることになります。エスコと15歳の時からずっと一緒のヤーナも、生産から販売まで、若い頃からラプアン カンクリを手伝ってきました。エスコが大学でテキスタイルの技術を学び、ラプアに帰ってくることになった90年代のフィンランドは不況で、何か新しいことを発案する必要がありました。ヤーナが市場調査をしたところ、人々がフィンランド製の麻の商品を使いたがっていることがわかりました。タンペラという会社が倒産して以来、ジャガード織りで麻の製品を作る会社はなかったので、エスコが始めることになりました。当時7名だった従業員の数も現在では20名に成長しますが、まだまだ小さい工場であることには変わりありません。ただ、小さな工場だからこそできることがあると誇りがあります。例えば、麻の糸は切れやすく、織るのも難しい素材。糸が切れると、必ず人の手が必要になってきます。機械織りといえども、柄を織り上げるジャガード織りは織るスピードも決して速くなく、大量生産には正直向きません。端の折り方も特殊なので、細心の注意が必要です。また、オリジナルの色に染めた糸から製品を織り上げることにもこだわり、手間をかけて特別なプロダクトを作り出しているのです。また小さな工場は世の中の変化に柔軟に対応でき、それが経営が長続きする秘訣なのだといいます。

Made in Lapuaを誇りに

ラプアでの生産にこだわる理由もたくさんあります。まずは何といっても、織り工場がエスコとヤーナにとって大切だから。ラプアの工場と働く人々はラプアン カンクリのハートなのです。そして生産場所が近いので、商品開発もしやすく、機械が故障して困っても、親戚のリタイアした知恵を持つ先輩たちにいつでも聞くことができるのだとか。祖父母の助けもあり、3人の子どもを育てながら会社を経営してきましたが、そんなふたりのライフスタイルは小さなコミュニティーがぴったりでした。ユハはエスコに会社を継ぐように押し付けたことは一度もないといいます。自然な成り行きで、ラプアン カンクリを引き継いだエスコ。今では、娘のヴィルマがラプアのショップを手伝っています。「もちろん、ふたりの息子のどちらかが継いでくれればうれしいけれど、競争の激しい世界だし、将来は自由に選択してほしいと願っています」とエスコとヤーナは考えます。国内生産が減少する時代の中、Made in Lapuaを掲げるラプアン カンクリはフィンランドの人の誇りの一つ。これからどんなストーリーが展開されていくのか今から楽しみです。


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1970年代のラプアン カンクリの工場の様子。

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細やかな縫製技術は、当時から業界でも評判だったと言う。

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エスコの両親、リーサとユハ。ユハは現在も、時折ラプアン カンクリの工場へ顔出す、皆のムードメーカーだ。


ラプアン カンクリ創設のきっかけとなった
1950年代のヴァリクトモの様子
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1950年代後半頃のヴァリクトモの様子。ウールは糸から紡がれており(写真右上)、すでにジャガード機が導入されていた(写真左上&左下)。「織り手は手先が器用であることが重要なので、ほとんどが女性だったの」とヤーナ。

profile.
島塚絵里Eri Shimatsuka

2007年に渡芬。アアルト大学でテキスタイルデザインを学び、2012年よりマリメッコにプリントデザインを提供。フィンランドの魅力を伝えるべく、デザインの他、執筆やコーディネートにも携わる。

www.erishimatsuka.com

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1970年代のラプアン カンクリの工場の様子。

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細やかな縫製技術は、当時から業界でも評判だったと言う。

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エスコの両親、リーサとユハ。ユハは現在も、時折ラプアン カンクリの工場へ顔出す、皆のムードメーカーだ。